Bigakusei Zukan collaborate with iNDIGO BLUE!!!
Written by Mei Maezawa & Natsumi Koike.
こんにちは、美学生図鑑ブログ編集長兼カメラマンの小池です。
新企画Collaborationとして、今後コラボの実現した催し物やイベントを、可能な限り美学生図鑑をご覧頂いている皆様にもシェアしていきます。
今回は、辻本 恵太さん(https://bigakusei.com/binan-bijo/interview/313/)の所属されているボーイズシンクロチーム”iNDIGO BLUE”の東北復興プロジェクトの一環である、フォトブック制作のチームメンバーに美学生図鑑カメラマンを是非とのことで、前沢と小池の2名でお手伝いに行ってきます。
連載形式で、現地からもこの様子をお伝えしますので、ご期待ください。
第一回目の今日は、東北復興プロジェクトにあたり、辻本さんにインタビューをさせていただきました。
熱い想いが、少しでも伝わりますように。
Collabration#1-1 はじまりのその前に
iNDIGO BLUEは平澤慎也、橋本和樹、辻本恵太、坂本直紀、下村貴哉を中心に活動する”ハダカ”の男のエンターテインメントチーム。会場を一体にする心臓バクバクの”シンクロ”空間を持ち味に、ダンスをベースとしたフロアパフォーマンス、スイミングの要素から成るウォーターパフォーマンスから構成される「ボーイズシンクロエンターテインメント」が20代及び30代の女性を中心に人気を博し、2006年の結成以来、総観客数は10万人を突破した。この活動の先に目指すもの。それは、「すべての人がありのままの自分を信じて生きるあらゆる個性がシンクロした世界」。その世界の実現に向けて、その姿をパフォーマンスのかたちで示していく。
今回、iNDIGO BLUEのメンバーであり美学生図鑑のOBでもある辻本恵太さんに、シンクロを始めたきっかけや、パフォーマンスをすることに対する思いなどを聞いた。
――「iNDIGO BLUE設立時のお話を聞かせていただけますか?」
元々、iNDIGO BLUE代表の平澤慎也とは高校の同級生で、『ウォーターボーイズ』が流行っていた影響を受けて、高校の文化祭で一緒にウォーターボーイズを披露したのが始まりでした。僕が高校3年生のときに開催されたウォーターボーイズの全国大会に京都府代表として出場したのですが、8団体中3位という結果で。悔しい思いをしたのと同時に、もっとシンクロを続けたいと思いました。さらに、自分たちだけにとどまらず、もっと下の代にもパフォーマンスで人を感動させる機会を継承したい、という気持ちを込めて、その全国大会で出会った仲間と一緒に立ち上げたのがボーイズシンクロエンターテインメントiNDIGO BLUEです。
――「とはいっても当時、ドラマのウォーターボーイズなども終了し、本格的に取り組んでいる人は少なかったと思います。大変なことばかりだったのではないですか?」
そうですね。テレビで取り上げられなくなると、もともとウォーターボーイズをやる環境って全然整っていなかったので、関心が遠のいていくとともにチャレンジする人も減っていきました。そういう状況の中なので、プールなどの練習や公演の場所探しにはとても苦労しました。
――「そのような環境の中でも活動を続けたのは、どのような想いがあったからなのですか?」
ボーイズシンクロは、よくも悪くも未開拓の領域だと思うんです。成熟した領域で、これだけ頑張ればこのレベルまでいける、というのも1つのモチベーションだと思いますが、ボーイズシンクロではそれがわからない。最初はほとんど『ウォーターボーイズ』という型にはめるようにして始めた活動ですが、それに縛られることなく、本当に様々なことに挑戦しながら、可能性を発掘していきました。同じことを続けていながら、常に新しいことに出会う。そうやって、ウォーターボーイズという、高校生がプールで楽しく演技をするというある意味固定されたイメージのものから、「ボーイズシンクロ」という全く新しい可能性を秘めたエンターテインメントへと変化していったんです。僕にとって、それが活動を続けるモチベーションでしたね。
――「それまでパフォーマンスをするという経験はあったのですか?」
いや、なかったですね。見る機会もそこまで多いわけではなかったです。憧れのパフォーマーとか、こういうパフォーマンスをしたいというのをすっ飛ばして実際にパフォーマンスをしてみたら、パフォーマンスを見せる相手がいること、そして次第に大きくなっていくリアクションをダイレクトに肌で感じて、手ごたえを得ました。真似事ではなく、もっともっと人を楽しませたい、感動させたい、という風にハマっていきましたね。作り手として勉強を始めたのもそこからです。
――「パフォーマンスを“やる側”になって気づいたことはありますか?」
パフォーマーとはいえ、演劇のように役が決まっているわけではなく、ハダカの自分、ありのままの自分で表現するということを通して、普段の生活からそうあるべきなんじゃないかと思うようになりました。普段から自分をきっちりと表現するのは大事なことです。
そして、その“表現”とは人によって異なります。iNDIGO BLUEにはダンサーやソロで自己のパフォーマンスを追求しているメンバーもいます。僕自身は、この活動を通して思想を広めることに強く興味を持っていたり。長所も、その表現方法も人によって様々です。こういう多様性は本来あるべきもので、誰もが自分らしく表現できるようにする。それはチームで大切にしていることであり、ボーイズシンクロを通して、僕たちが発信しているメッセージでもあります。
――「今年で東北公演は3年目を迎えますが、最初に東北で公演をしたときはどのようなことを感じましたか?」
東北に入ったのは2011年10月に行なった公演が初めてで、瓦礫の撤去をしたり物資を届けたりする人がいる中で僕自身は特に何もできていませんでした。普段は関西や東京都内で公演をしていて、関東・関西メンバーどちらもいるので、公演先がどのような環境でどのような人にパフォーマンスを届けるのかを想定した上で公演をしています。ですが、初めて入った福島は報道を通じてしか状況を知っておらず、受け入れてもらえるのか不安でした。街並みを見て被害を実感することもありましたし、自分が見た光景を後で振り返って「現場でこれを体験していたらどういう気持ちだったのだろう」とも思いました。現場を目の当たりにしても、当時の人々の気持ちは想像の域でしかなくて、どういう想いを抱えた人が見に来てくださるのかはもちろんわからないのです。
そのような普段と違う環境でも、僕たちはいつも通りのパフォーマンスをしました。僕たちが今できるパフォーマンスを、ありのままの自分でやって、結果的に受け入れていただけたのは嬉しかったですね。直球でやった分、リアクションもストレートなもので、笑顔になっていただいたり、純粋に喜んでいただいたり。どこで公演をしても、現場で楽しむことは変わらないです。
現地に行ったことがない人から、被災した人の気持ちがわからないからどういう言葉をかけたらいいのかわからないという声をよく聞きます。もちろん最低限のマナーや配慮すべきことはありますが、人は誰しも様々な経験をしていて、初対面のときは相手のことを知らないで会うわけですから、特別視する必要はないのではと思います。被災したというバックグラウンドを知ってしまったからといって関わりを絶ってしまっても、行かないことには何もわからないですし、相手を知り、近づく努力をすべきなんじゃないかと思いますね。
――「ありがとうございます。最後に、今年の東北公演に向けて意気込みを。」
いつも通りのパフォーマンスをしてきます。これは一貫しているメッセージですが、いつも通りのパフォーマンスで会場を一体にして、感動していただきたいです。お客さんの喜ぶ姿や感動してくださる姿に、いつも僕たちの方が元気をもらっているので、いただいたパワーに負けないパフォーマンスを届けたいです。
【CAMPFIRE 東北復興プロジェクト】
http://camp-fire.jp/projects/view/664
【iNDIGO BLUE facebookページ】
http://www.facebook.com/ibweb
【東京体育館ライブムービー】
http://www.youtube.com/watch?v=NSYBgvJlzHs
辻本 恵太さんの美学生図鑑掲載ページはこちら★ → https://bigakusei.com/binan-bijo/interview/313/